2024.3.29 リサイタル プログラム・ノート

ごあいさつ

大学生活6年間の締めくくりに、おなじみの名曲喫茶カデンツァでリサイタルをさせていただける運びとなりました。私が愛してやまない名作をお届けできることを嬉しく思っています。

今回のプログラムは、前半にドビュッシーとシューマンという時代も国も異なる二人の作曲家の作品を並べています。「アラベスク」、「子供」というキーワードを持つ彼らの作品を比較しながら、言うまでもない傑作の小品集をお楽しみいただきます。後半にはショパンが書いたピアノ・ソナタを演奏します。シューマンと深い交流があったショパンは、ドビュッシーのピアニストとしての大師匠でもあったのです。


アラベスクという主題

「アラベスク」といえば、小学生がよく弾くブルグミュラーの作品を思い浮かべるかもしれない。このタイトル、実は今日演奏するロベルト・シューマン(1810-1856)の作品が初めてであった。

「アラビア模様の」という形容詞であるが、シューマンは常にドイツ語でタイトルを付けていたため、厳密には「Arabeske アラベスケ」となる(日本ではこの表記もよく見られる)。唐草模様に近く、音楽でいうと複数の声部が絡み合うように進行していくことを表している。


シューマンの《アラベスク》(1839)は、もともと《花の小品》というようなタイトルで出版しようとしていたらしい。彼がこの作品に草花のイメージを持っていたことも書簡から明らかになっており、まさにアラベスク模様を表現した作品だと考えられる。

楽曲としては、流れるような美しい主要主題と短調の2つの副主題が交互に現れる、A-B-A-C-A のロンド形式となっている。最後には "Zum Schulß(終わりに)" と書かれたコーダが置かれ、静かに幕を閉じる。


クロード・ドビュッシー(1862-1918)の《2つのアラベスク》(1888)は彼のピアノ作品で最初期のものである。19世紀末に花開いたアール・ヌーヴォーの様式を通じて、異国趣味や、装飾そのものを中心とする芸術が広まった。シューマンの《アラベスク》があくまでもメロディを中心とした装飾にあふれる音楽であるのに対し、ドビュッシーの《アラベスク》はもはや装飾そのものが音楽として捉えられているといえよう。特徴的な五音音階も、東洋風の異国情緒を感じさせる。

本作は〈第1番〉があまりに有名であるため、軽やかで愛らしい〈第2番〉の存在は意外と忘れられがちだ。この2作品はともに3連符の動きが特徴であり、植物の文様が同じ形で繰り返し並んでいる模様を想起させる。

〈第1番〉はアルペジオが特徴の流れるような作品。下行するバスに簡素な和音で構成される単純な作りでありながら、流麗さをみせるドビュッシーの手腕が発揮される。中間部は洒脱な和音が多用される。

〈第2番〉は軽やかなメロディが駆けめぐる。中間部は〈第1番〉に似たところがあり、和音の用法が巧みである。


ドビュッシー:子供の領分(1908)

ドビュッシーの女性関係は決して褒められたものではない。

2人の女性を自殺未遂に追い込み、新たな女性と英・ジャージー島へ逃避行。そこで歓楽的なピアノの名曲《喜びの島》を書いてしまった。彼女はエンマ・バルダックという声楽家で、ドビュッシーがピアノを教えていた青年の母親である。エンマは有名な作曲家ガブリエル・フォーレ(1845-1924)の元恋人でもあり、作曲家たちにとってインスピレーションの源となる存在だった。アラベスクのように絡み合う人間関係だが、結局ドビュッシーはエンマと結婚し、一人の娘をもうける。その娘はドビュッシーから溺愛され、シュシュ(日本語でキャベツ)という愛称を付けられた。一粒種を持ってしまったドビュッシーはもはや妻に見向きもせず、ただひたすらに愛する娘へ眼差しをそそぎ、まだ3歳だった彼女のために素晴らしい作品を書き上げる。それが《子供の領分》であった。(子供が弾くにはちょっと難しいのでは…)

この作品は6曲からなる。19世紀初頭に活躍したムツィオ・クレメンティの練習曲を皮肉まじりに描いた〈グラドゥス・アド・パルナッスム博士〉、低音のゆったりしたメロディがまさに象を想起させる〈象の子守歌〉、完全4度の重音でメロディが紡がれる〈人形のセレナード〉、16分音符の細かなスタッカートで端正に銀世界が表現された〈雪は降っている〉、《牧神の午後への前奏曲》を思わせる笛のメロディが印象的な〈小さな羊飼い〉、黒人のダンスを元にしたリズミカルな〈ゴリウォーグのケークウォーク〉からなる。


シューマン:子供の情景(1838)

若き日のシューマンはピアニストを志し、教師フリードリヒ・ヴィークのもとで学んでいた。彼の娘クララ・ヴィークは既に腕利きのピアニストとして活動しており、のちにシューマンの妻となるのであった。2人の弟子はすぐ知り合うが、彼らの逢瀬にフリードリヒは猛烈な反対をしていたという。クララが父を相手に裁判を起こしたのだから相当なものだったのだろう。

シューマンは指の故障によりピアニストの道を諦め、作曲と評論活動に勤しみ、演奏の夢を妻に託すことになる。ピアノ・ソナタの終楽章をクララの進言でごっそり別のものに変えるなど、彼女がかなりの影響力を持っていたことは明らかだ。

子供の情景》は彼らが結婚する2年前の1838年に完成した作品。1839年までは、発表された23作品すべてがピアノ曲である。それらは《子供の情景》や《アラベスク》のように愛らしいものと、力作のソナタなどピアニストらしさを思わせる技巧的なものとに大別されよう。

《子供の情景》はドビュッシーの《子供の領分》のように子供のために作曲されたのではなく、子供の頃の回想というニュアンスが強い。とはいえ、この頃の作品にはいつもクララの影がちらついているだけあり、本作もシューマンの様々な思いが隠されていそうだ。13曲の小品で構成されており、それぞれは楽譜で1、2ページのごく短いものばかりだ。

全13曲は以下の通り。シューマンは作曲が終わってから各曲の印象にタイトルをつけた。

見知らぬ国と人々について

不思議なお話

鬼ごっこ

ねだる子供

満ち足りた幸せ

重大な出来事

トロイメライ

炉端で

木馬の騎士

むきになって

おどかし

眠入る子供

詩人は語る


ショパン:ピアノ・ソナタ第3番(1844)

ポーランドからパリへ渡り生活していたショパンにも最愛のパートナーがいる。6歳年上の作家ジョルジュ・サンドだ。サンドはずいぶんと強い性格の持ち主だったようで、いつも葉巻に男装という変わった風貌だったそう。ちなみに、ルーヴル美術館にドラクロワが描いたショパンの肖像画があるが、彼らはサンドが結びつけた仲だったという。

彼女は離婚した夫との間に2人の子供がいた。1838年、有名人だったショパンとサンドはパリを逃れ、子供たちを連れて地中海のマヨルカ島へ逃避行する。どこかで聞いたような話だ。

その地で数々の作品を生み《ピアノ・ソナタ第2番》を書き上げたのだが、これがシューマンの批評でこてんぱんにされてしまう。今でこそ《葬送》の名で知られる作品だが、構成の希薄さから当時はそう高く評価されなかったようだ。

その後フランスに戻ったショパン達はサンドの家で暮らすこととなる。そこで生まれたのが大傑作《ピアノ・ソナタ第3番》だった。

ソナタ形式の第1楽章(ロ短調)は序奏もなく唐突に堂々たる第1主題が始まる。激しいうねりを見せつつ、たいへん美しい第2主題へ移行する。展開部では主に第1主題と激しい推移部が労作され、再現部に入る。

三部形式の第2楽章(変ホ長調)は主調のロ短調から程遠い遠隔調だ。音域の広い華やかな走句が繰り広げられ、中間部ではロ長調に転調し、落ち着きのある音楽となる。

同じく三部形式の第3楽章(ロ長調)は一定のリズムの上にゆったりとしたメロディが流れる。中間部では長調に転調し、3連符が基調の豊かな部分となる。

ロンド形式の第4楽章(ロ短調)は、物々しい序奏のあと仄暗い主要主題が提示される。2度挟まれる副主題は駆け抜ける細かな16分音符が特徴的。再現される度にだんだんと激しさを増す主要主題からそのままコーダへ突入すると長調に転調し、この作品でも随一の幅広い音域と華やかさをもって壮大なフィナーレとなる。


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一般(3500円)学生(2000円)

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